思いやりから始めたリーダーシップ、その先へ

北欧神話の世界で、村を作りながら新大陸を開拓する『NORTHGARD』というストラテジーゲーム*1を遊んだ時に、とても印象的な体験をしました。村人が増えて食料やお金も整って、いざ遠征するぞと準備を始めた時に、村人の士気が急に下がり始めたのです。食料やお金を用意したり、手当たり次第に介入しても士気は下げ止まらず、隣の村からの侵略を受けて占領されてしまいました。

何回かやり直してわかったことは、村がある程度大きくなった時には、家や酒場のような憩いの場がとても重要になるということでした。そして、憩いの場は、士気が下がり始めてから作り始めても効果はなく、村は崩壊します。とはいえ、最初に憩いの場を作ってしまうと限られた食料やお金がなくなり村は力を失います。

この例はいろいろと単純化していますが、遠征を「大胆さ」や「挑戦」、憩いの場を「思いやり」や「信頼」と置き換えることでチームでのソフトウェア開発にも通じるヒントがありそうでした。

私は、思いやりからチーム作りを始め、それなりに成果の出せるチームになりつつあるのですが、メンバーのポテンシャルを考えるともっと高い成果が出せそうで、これから自分は何をすればいいのか悩んでいました。

そんな時、一冊の本に出会い、チームメンバーを思いやりながら、挑戦させることで、自分たちも「できる」と思っていなかった成果を実現するかもしれないことを知ったので紹介します。

全部で9000文字弱あります。お時間のある方は順に読んでいただければと思いますが、気になる見出しのところだけ読んでいただいても問題ありません。

思いやりから始めたリーダーシップ

私はテックリードになったとき、チームが高い成果を上げるために、まずチームメンバー同士が「思いやり」、「信頼」し合える状態を作ろうとしました。そのときに取り組んだことはこのブログでいくつか記事にしています。

tech.route06.co.jp tech.route06.co.jp tech.route06.co.jp tech.route06.co.jp

ふり返ってみるとチームメンバーの資質や動きに助けられた部分が大きいのですが、いくつかの取り組みも後押しとなり、チームとして速く大きな成果を出せるようになりました。ただ、それと同時にある課題を感じ始めていました。

鈍化するチームの成長速度

チームの成果・パフォーマンスを定量的に計測していないので、定性的な話になるのですが、会社・事業部からチーム期待されている仕事はできていると思います。また、チーム発足当初からここにいたるまで、チームが成長していると感じる瞬間が何度もありました。

一方で期待を超えたり、自分たちも不可能だと思っていたような成果を出すことはまだできていません。また、チームの成長を感じる頻度は時が経つごとに少なくなってきました。もちろん悪い状態ではなく、かなりいい状態だと思っているのですが、さらに高みを目指せるポテンシャルは感じており、焦りに似たような感覚が続いていました。

そんな時、たまたま見つけたのが『CARE TO DARE(邦訳「セキュアベース・リーダシップ」)』でした。

セキュアベース・リーダーシップ | PRESIDENT STORE (プレジデントストア)

この本は、「家族のようにチームメンバーを思いやり、自分や会社や社会さえもが「できる」と思っていなかったことに挑戦させる」そんなリーダーシップを実現する方法を説明した本です。

私はチームメンバーに挑戦させることに強い抵抗があったのですが、この本を読んで、この方法なら挑戦させることができるかもしれない、挑戦によってチームはもう1段階成長できるかもしれないと思いました。

300文字でわかる「セキュアベース・リーダーシップ」

セキュアベース(安全基地)という言葉は、心理学者であり人質解放の交渉人だったジョージ・コーリーザーさんが、神父であり親友のエドワード・マジアースさんとの対話の中で見出した概念で、以下のような定義です。

守られているという感覚と安心感を与え、思いやりを示すと同時に、ものごとに挑み、冒険し、リスクをとり、挑戦を求める意欲とエネルギーの源となる人物、場所、あるいは目標や目的

『セキュアベース・リーダーシップ 第1章 安全とリスクのパラドックス』より

これをリーダーシップに応用することで、チームの中にセキュアベースを作り、チームとして高業績を実現するのが、「セキュアベース・リーダーシップ」です。

本の中では、人質解放の時の生々しいやり取りや、ヨーロッパの最優秀アセット・マネジメント企業に選ばれた企業での取り組みや、病気で12歳で片足をなくした子どもが父親と氷と雪の坂を登った話など、この概念が絵空事ではないことを証明するたくさんエピソードが紹介されています。

このブログでは、エピソードの紹介は最低限にとどめ、概念やキーワードを紹介していきますので、気になった方は、ぜひ書籍もお読みいただきたいです。なお『CARE TO DARE』では、チームメンバーのことをフォロワーと呼ぶことが多く、以下の文章でもフォロワーと表現しています。

ロッククライミングの「ビレイ」

『CARE TO DARE』の中でセキュアベース・リーダーシップと多くの類似点のある存在としてロッククライミングの「ビレイ」が紹介されています。私はこの例えを見て、セキュアベース・リーダーシップに大きな可能性を感じたので紹介させてもらいます。

ビレイの方法は、岩面や室内のクライミング・ウォールの状況によって異なるが、基本的な仕組みは共通している。図に描かれているように、登っている岩面上のアンカーにロープが通され、岩面を登るクライマーは、ロープの一端に結び付けられる。ビレイを行うビレイヤーは、腰に装着したハーネスと呼ばれる安全ベルトに取り付けられた特殊な用具を使ってロープのもう一端を持ち、クライマーが十分に動けるが、大きく墜落することのない緩みを保つ。クライマーが上に登っていくあいだ、ビレイヤーは注意してクライマーを見守り、必要に応じて緩みを調節する。

ビレイに例えられるセキュアベース・リーダーシップ(『セキュアベース・リーダーシップ 第1章 安全とリスクのパラドックス』より)

そしてビレイがセキュアベース・リーダーシップを象徴していると続きます。

ビレイを確保していないのにクライマーに登るように勧めるのは、明らかに無責任だ。同様に、強固な安全を確保せずに、フォロワーに難しい仕事の課題を達成するよう求めるのも、挫折やストレスにつながる。したがって、セキュアベース・リーダーシップの最初の一歩は、「絆の形成」によって安心感を提供することだ。ストレッチと挑戦を勧めるのは、「君ならできると思っている。君を信じている」と言うのと同じことであり、信頼の絆を強めることである。

私は、リーダーシップのあり方を表現するアナロジーを色々と探してきたのですが、ロッククライミングの「ビレイ」が一番自分の目指す姿に近いと思いました。リーダーとフォロワーがロープで繋がっていて、リーダーはフォロワーの安全を責任を持って守りつつ、全体像や未来を考え、主従関係ではなく同じ目標のために違う立場で協力している姿が素晴らしいです。

必要なときには話せると「思われていること」の重要性

ここから、セキュアベース・リーダーシップについて、もう少し具体的な紹介をしていきます。『CARE TO DARE』の著者たちは高業績のリーダーとセキュアベース・リーダーシップとの関係を掘り下げた結果、セキュアベース・リーダーの9つの特性を見出しました。以下がその特性です。

  1. 冷静でいる
  2. 人として受け入れる
  3. 可能性を見通す
  4. 傾聴し、質問する
  5. 力強いメッセージを発信する
  6. プラス面にフォーカスする
  7. リスクを取るように促す
  8. 内発的動機で動かす
  9. いつでも話せることを示す

『セキュアベース・リーダーシップ 第2章 セキュアベース・リーダーの九つ特性』より

本の中ではそれぞれの特性や、その特性を身につけ実践できているかのセルフチェックシート、その特性の伸ばし方などが丁寧に説明されているのですが、ここでは9つ目の「いつでも話せることを示す」について取り上げます。

なぜなら、この特性は他の8つと比べて特にフルリモートワークや、非同期コミュニケーションを主体に成果を出そうとしている人たち(例えば私の所属しているROUTE06)には重要度が高いと感じたからです。

私の経験したフルリモートワークでは、仕事の立場や役割、また生活環境によって違いはありますが、文章やコードを書いたり、仕様やタスク整理したり、デザインを作ったりと、一人でコンピューターに向き合う時間が誰しもそれなりにあります。その時に、孤独を感じるか、目の間の作業に集中できるかは「いつでも話せる人がいる」かどうかによるところが大きいと思っています。

『CARE TO DARE』の中でも

誰かが支えてくれる、誰かと話せるという認識は、実際のコミュニケーションの時間よりも、その人の感覚により大きく関係している

と述べられています。

もう少しこのことを説明したいので、宇多田ヒカルさんに助力を求めます。私は、2016年に発売された『Fantôme』以降の宇多田ヒカルさんのアルバム(それ以前ももちろんです)が好きで、よく聞いています*2。そしてセキュアベースの概念を知った時、宇多田ヒカルさんの歌詞や歌にはセキュアベースに通じるものが少なくないことに気づきました。

今、テーマになっている「一人の時間に孤独と感じるか」ということについて彼女が『道』で歌っているところを紹介します。

そして問う あなたなら こんな時どうする

私の心の中にあなたがいる

(中略)

It's a lonely, it's a lonely, it's a lonely, it's a lonely road

But I'm not alone, not alone, not alone, not alone

そんな気分

(中略)

一人で歩まねばならぬ道でも あなたの声が聞こえる

初めて聞いた時から、歌詞の中の「あなた」は人じゃなくても物語でもペットでもなんでもいいだろうと思っていたのですが、これはセキュアベースに通じるところがあると思います。

そして、「セキュアベース・リーダー」は、自らがフォロワーのセキュアベースとなることで、一人ひとり時間も空間も離れているけれど、孤独ではないと感じられる状態を作る必要があるということだと思いました。

本の中では、フォロワーに「いつでも話せることを示す」ための具体的なアドバイスも書かれているのですが、それは、ぜひ本を読んでご確認ください。代わりに、私が過去(今も)やっていて、やり始めたきっかけはなんとなくだったのですが、この本を読んで、当時は無意識だったけれど「いつでも話せること」を示したかったんだろうなと気づいた取り組みを紹介します。

それはとても簡単なことで、毎朝10時30分から11時の間、Slackのhuddleで「入退室自由、聞くだけでもOK・実装仕様のお困りごと相談会」を開催しています。

Slackのハドルミーティングのイメージ

1週間誰も来ないこともありますが、3日続けて人が来ることもあり、そういう場があると認識されていることの価値を感じています。

あなたのリーダーシップは何型?「思いやること」と「挑ませること」の四象限で自分のリーダーシップを分析する

『CARE TO DARE』によると、9つの特性を活かして「思いやること」と「挑ませること」を正しいバランスで組み合わせるとセキュアベース・リーダーシップとなります。その説明の中で参照される異なるレベルの「思いやること」と「挑ませること」が組み合わさった四つの象限をみると、自分のリーダーシップがどのアプローチをしているかを分析できるので紹介します。

4つのリーダーシップ・アプローチ(『セキュアベース・リーダーシップ 第6章 「勝利を目指す」マインドセット』より)

「勝利を目指す」に目がいくと思いますし、最も頻繁に活用したいアプローチではありますが、どこかに固定的に考える必要はありません。状況が異なれば異なるアプローチをとるべき、というのが著者たちの立場です。

私は、「負けないことを目指す」アプローチでいました。私のリーダーシップには「挑ませること」が足りていなかったと気づきました。ロッククライミングの「ビレイ」に例えると、紐はしっかりと握っているけど、上を目指すように声を出していなかった。手が届くところを安全に、少しずつ登って行くようにしていました。

本の中では、「負けないことを目指す」アプローチを以下のように説明しています。

失敗や間違いや不安、悪くなりそうなことなどに目をむける。プレッシャーを感じると、「他の人からの同意があった方が安全だ」と考える

この文章を読みながら何度頷いたのかわかりませんが、まさしくその通りでした。常にこのように考えているわけではないのですが、いろいろな可能性を考える中で、考え方の癖としてこの傾向があります。

現状(負けないことを目指す)と目的地(勝利を目指す)が明らかになると、自然とやるべきことは見つかります。私は週のふり返り項目の中に「今週はどんな挑戦を自分はしたか、またフォロワーにどんな挑戦をさせたか」という問いを増やしました。

物語の世界のセキュアベース・リーダー

『CARE TO DARE』の中では実在するリーダーのエピソードが多数紹介されています。私はそれらを読む中で、物語の世界の中で、同じようなことを実践しているリーダーを何人か思い出しました。

物語の世界なので色々と上手くいきすぎていたり、単純化されている面は否めないですが、特徴をわかりやすく捉えるヒントになるとも思っているので二人紹介します。

九条里奈(最高の教師 1年後、私は生徒に■された)

九条里奈*3は生徒に対し「あなたたちのために、何でもします」と宣言し、行動しました。しかし、生徒が抱える問題を直接解決する行動はしませんでした。では、何をしていたのでしょう。

それは、生徒のセキュアベースとなるため、セキュアベースを作るための行動でした。そして生徒の問題は、生徒自身が挑戦して解決するように語りかけていました。

4話「拝啓、世界に居場所が無いと思う貴方へ」の中で、大きなトラブルに巻き込まれそうな生徒を助けるため、クラスメイトの生徒に伝えたメッセージがこちらです。

私たちは誰かの危機に瀕した状況が見えた時、「そんなわけがない」よりも「そうかもしれない」で動くべきでないでしょうか。

大切な人が傷つくことに後悔する可能性があるのなら、この身一つくらい差し出して根拠のない行動に出ても良いとは思いませんか*4

その後、生徒同士の対話によってトラブルは回避されました。九条先生が介入することもできたと思うのですが、それだとトラブルは回避できても根本の問題は解決しないと思っての行動だったのでしょう。

私はついつい早く問題を解決しようと自分で動いてしまうので、九条先生のようにメッセージを伝えて問題の解決に挑ませる、そのためのセキュアベースになりたいですね。

バラライカ(BLACK LAGOON)

セキュアベース・リーダーは、優しくてフォロワーの前では笑顔のことが多いリーダーのイメージがあったのですが、バラライカを通して、それは表面的な特徴に囚われすぎていると気づきました。

バラライカ*5は怖いです。笑顔が一番怖い。そういうタイプのリーダーです。実は、最初に彼女のことを思い出した理由は、セキュアベース・リーダーではないリーダーの例えとしてでした。

しかし、9つの特性に彼女の言動・行動を当てはめてみると全ての項目を満たしている。部下からの信頼は厚く、彼女の一言*6で士気は湧き上がります。

これは、彼女も彼女のフォロワーも元軍人というチームだから成り立っている特殊な事例だと思います。しかし、極端な例を知ったことで、チームにおけるセキュアベースは、フォロワーが求めているものでなければいけないことに気づきました。例えば、九条先生が生徒に行ったようなセキュアベースをバラライカが部下に提供しても部下は彼女を信頼しないでしょう。

リーダーはセキュアベースを作ることを目的とせず、フォロワー(チームメンバー)の求めているものに耳をすまし、彼らのためのセキュアベースを作っていきたいですね。

思いやりから始めたリーダーシップ、その先へ

私は、チームメンバーを思いやることと挑戦させることはトレードオフの関係にあり、どちらかを優先するとどちらかは弱まってしまうものだと思っていました。そして、フルリモートワークで非同期な開発スタイルにおいては、思いやりを優先し、挑戦はチームメンバーの内発的動機に頼る形が最善だと思っていました。

しかし、トレードオフではないあり方を知ったことで、一歩先に進められる可能性を感じています。

「思いやりから始める」と書くとどことなく、甘さやゆったりした感じを持ちますが、そのようには考えていません。私は、設計の検討やコードレビューでは比較的厳しいことを無慈悲に書く方だと思っています。

『CARE TO DARE』の中でも、セキュアベースの重要性は繰り返し説明されますが、そこに甘さや妥協はありません。紹介される人は皆、思いやり、信頼しているからこそ厳しいことを直接的に言っています。エキスパートになるには、まず10000時間のトレーニングが必要だ、という強い表現も出てきます。

馴れ合いではなく思いやりから始め、無茶振りではなく挑戦させるリーダーシップのあり方を探っていきます。

最後までお読みいただきありがとうございました!

*1:ストラテジーゲームの中では珍しい質感のグラフィックでMacでも遊べます。日本語対応はされていないのですが、雰囲気でプレイはできると思います。ゲームの詳しい紹介、スクリーンショット、プレイ動画は以下のリンクからご確認ください。

Northgard on Steam

*2:私が2022年にApple Musicで聞いていた上位10曲は宇多田ヒカルさんの曲でした。総再生時間は5,470分だったそうです。

*3:九条里奈は、松岡茉優さん演じる物語の主人公。舞台となる鳳来高校3年D組の担任で、時代に寄り添い、生徒に寄り添うことを諦めた高校の化学教師。ある出来事をきっかけに生徒に対して本気で向き合うことになります

*4:ドラマはhuluで配信されています。https://www.hulu.jp/watch/100156441 松岡茉優さんはもちろん、生徒役の窪塚愛流さん、本田仁美さんの演技も素晴らしく4話だけ見ても成立していますので、気になった方は是非ドラマの中でこのセリフを聞いていただきたいです。

*5:『BLACK LAGOON』の舞台となる架空の港町に存在するロシアンマフィア『ホテル・モスクワ』の大幹部。過去、旧ソビエト連邦の遊撃隊に所属していた。短気で、特に立場をわきまえない行動に対しては特に容赦がない。

*6:『BLACK LAGOON 3巻』「サハロフ上等兵、メニショフ伍長はかけがえのない戦友だった。鎮魂の灯明は我々こそが灯すもの。無き戦友の魂で、我らの銃は復讐の女神(ネメシス)となる!カラシニコフの裁きの下、5.45ミリ弾で奴らの顎(あぎと)を食いちぎれ!!」